謎だらけの日本の誕生  その1

 本誌で何度か書いているのですが、日本は「国家としての誕生過程」がよくわかっていません。つまり、日本はいつ、どこから来た誰によって支配されて成立したのかがはっきりしていない世界でも希有な国なのです。

 だから今日でも、誰に何の権限があるのか、誰が最終責任を負っているのかが一向にはっきりしない国なのです。

 「国家としての誕生過程」がはっきりしない理由の一つは、720年に編纂された「日本書記」が、1300年たった今でもろくに検証もされないで受け入れられているからです。

 この「日本書記」と、701年に編纂されて現在の官僚制度の原型を規定した「大宝律令」は、ともに藤原不比等の意向が強く反映されているのですが、この辺は、5月16付け 「書き換えられた歴史・藤原氏の正体 その1」、5月17日付け「書き換えられた歴史・藤原氏の正体 その2」、5月18日付け「書き換えられた歴史・藤原氏の正体 その3」に書いてありますので読んで下さい。

 藤原不比等は「日本書記」編纂に際し、それまでの記録(特に蘇我氏に関わるもの)を全て破棄させ、古代に遡って歴史を自由に書き換えてしまった可能性があります。もちろん、その後の藤原家の支配をやりやすくするためなのですが、「日本書記」は天皇家の歴史とも言えるため、現代に至るまで十分な検証は行われず、従って日本の「国家としての誕生過程」が不明なままなのです。

  そうは言っても、現在の日本の閉塞感を少しでも改善するためにも、日本国家の成立過程は解明しなければなりません。

 世界の金融相場も目を離せない局面に来ているのですが、合間を見つけて少しずつ書いて行こうと思います。

 4世紀ころに日本を最初に統一したと思われる「ヤマト朝廷」には、蘇我氏物部氏、大伴氏をはじめとする朝鮮半島からの外来人が深くかかわっていたことは間違いありません。

 それでは、「ヤマト朝廷」は、外来人が日本を征服して建てた国家なのでしょうか?

 外来人とは、おもに朝鮮半島から渡ってきた人のことなのですが、当時の朝鮮半島は楽浪郡や帯方群を通じて中国(220年までは漢、その後265年まで魏)の影響下にありました。

 ところが、日本語は中国語とも韓国語とも、似ても似つきません。

 と言うことは、日本人は(その起源は分からないのですが)ずっと日本に住み、日本語を話しており、そこへ外来人が入ってきて、日本の言葉を覚えて同化していったことになります。すると、外来人はあくまでも「ヤマト朝廷」に協力していた「脇役」にすぎないのでしょうか?

 確かに、当時から使われている漢字は中国のもので、日本書記なども漢文で書かれています。しかし、これはあくまでも日本語に漢字を当てはめたもので、意味はともかく発音は中国のものと似ても似つかないのです。

 「卑弥呼」などは、目的は分かりませんが日本に来ていた朝鮮半島からの人々が、日本人から聞いた発音を苦労して漢字に当てはめたものです。今となれば、そもそも「ヒミコ」という発音だったのかも疑問です。(松本清張氏は「ヒムカ」のはずだと言っています)

 言語と文字は、一緒に出来て発達していくものだと思いがちなのですが、普通は先に言語があり、後から適当な文字が割り振られていくことが圧倒的に多いようです。だから日本語に後から漢字があてはめられたことは何の不思議もないのです。

 余談ですが、世界の文字の大半は紀元前1200年ころから、今の中東のレバノンのあたりを本拠地にして地中海で活躍していたフェニキア人のフェニキア文字から派生していったものです。

 このフェニキア文字をもとに、紀元前9世紀ころに古代ギリシャ人がギリシャ文字を作り出し、ここから古代ローマで使われたラテン文字ができ、そこから英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語等の文字が派生していったのです。

 だから、ギリシャは全てのヨーロッパ文化の起源なのです。だから欧州主要国は多少財政赤字が多いからと言って決してギリシャを見捨てないのかもしれません。

 話を日本語に戻しますが、日本人は中国語も韓国語も話していないところをみると、国家としての日本は、もともと日本に住んでいた日本人によって建てられたことになりそうなのですが、だとするとどうしてもつじつまが合わないことが多いのです。

 続きます。