旧・日債銀経営陣への無罪判決とその背景  その1

 8月30日に東京高等裁判所が、旧・日本債券信用銀行(以下・日債銀、現・あおぞら銀行)の粉飾決算事件で、証券取引法違反有価証券報告書の虚偽記載)の罪に問われていた元会長・元頭取ら3名に対して逆転無罪を言い渡しました。

 事件とは、1998年12月に経営破たんし、当時の金融再生法の下で特別公的管理・一時国有化された旧・日債銀が、1998年3月期の決算で、旧大蔵省が97年に出した厳格な資産査定基準に従わず、不良債権を1592億円少なく見せかけた虚偽の有価証券報告書を提出したとして、当時の会長・頭取・副頭取の3人を逮捕・起訴したものです。

 一審・二審とも執行猶予付きの有罪判決が出ていたのですが、2009年に最高裁が「当時は過渡期で(不良債権を甘く査定する)旧基準も許容されていた」として、旧基準に照らし合わせて違法だったかを審理し直すために高裁に差し戻していたものでした。

 この最高裁の判断が出た時点で、無罪判決がある程度予想されていました。また、ほとんど同時期に破綻した全く同様の旧・日本長期信用銀行(以下、長銀)事件でも、2008年7月に、すでに旧経営陣に対して逆転の無罪判決が出ていました。

 旧・日債銀事件も旧・長銀事件も、十分な店舗網を持たない後発の銀行がバブル時に無理な融資拡大に走り、結局経営破たんして投入されていた多額の公的資金が棄損したため、検察が経営破たん時の経営陣を逮捕・起訴したものです。

 ところが、経営破たんの原因を作ったバブル時の経営陣は全く御咎めがなく多額の退職金をもらい、その後自主返納を求められてもほとんど応じず、非常に釈然としない事件でした。

 また、逮捕・起訴された経営破たん時の経営陣に対する罪状も、当時、旧大蔵省によって突然厳格化されたものの、実際は大半の銀行がまだ採用していなかった資産評価基準で評価しなかったことを問われており、これも非常に奇異な感じがしたものでした。

 1月12日付け「あらゆる失政が凝縮された日本長期信用銀行事件 その1

 1月13日付け「あらゆる失政が凝縮された日本長期信用銀行事件 その2」に、かなり詳しく書いてありますので、是非お読みください。

 旧・日債銀事件の方は、検察側がもう一度控訴できますが、多分事件そのものはこれで終了し、以後マスコミに取り上げられることもなく、このまま風化して行くものと思われます。しかし、風化する前にぜひその時代背景をもう一度掘り返しておきたいので、取り上げることにしました。

 両事件とも東京地検特捜部の扱いで、特捜部の取り上げる事件は、全て時代背景があり、全てが「国策捜査」といってよいのです。

 従って、特捜部が取り扱った事件が上級審で逆転無罪になることは非常に珍しく、旧・日債銀、旧・長銀の両事件とも、いかに「国策捜査」といえども最高裁判所が許容できないほどの「無理筋」の事件だったことになります。

 それでは、何故そのようなことになったのでしょう?

 そういうと、それは「多額の公的資金を投入した銀行が破綻したため、見せしめにでも経営陣を逮捕しなければならない」と考えられ、確かにそういう局面もあります。

 しかし、検察庁も含めた「官僚の理論」や「官僚の暗闘」は、もっともっと複雑で陰湿なのです。だからこの事件が風化する前に書き残しておきたいのです。

 官僚の中の官僚は旧・大蔵官僚です。全ての省庁の予算配分権を持っているからです。

 検察庁(もちろん特捜部も含む)も組織的には法務省に属しており、法務省も旧・大蔵省から予算を配分してもらっているのですが、両省の関係は非常に微妙なものです。両省ともプライドの塊だからです。

 だから検察庁(特に特捜部)は、国会議員と並んで大蔵官僚(それもキャリア)を逮捕・起訴することが勲章のように思われているのです。

 ついにそれが叶うのが1998年3月のことで、金融機関から過剰接待を受けて便宜を図った容疑で、キャリアの大蔵官僚(1人)が逮捕・起訴されました。

 実に、キャリアの大蔵官僚の逮捕は、昭和23年の「昭電疑獄」で逮捕された福田赳夫・大蔵省主計局長(後の首相)以来のことだったのです。

 そして、その図ったと言われる「便宜」の中に、旧・大蔵省の銀行検査に対する「手心」も含まれていると考えられたのです。

 長くなりそうですので、次回にします。