JPモルガン・チェースの巨額損失の不思議  その2

 昨日の続きです。新しいニュースとしては、昨日(5月15日)米国司法省とFBI(連邦捜査局)までが調査に乗りだしました。これは「はっきりと犯罪の疑いがあるから」出てきたのですが、その対象がダイモンCEOにまで及んでいるのかどうかは分かりません。

 昨日も書きましたが、本件は米国金融市場に間違いなく「大変な混乱」を招くはずですが、より詳しく理解するためには米国金融界の規制と自由化の流れと、JPモルガン・チェースの沿革と、ダイモンCEOについて理解しておく必要があります。

 1895年にジョン・ピアボント・モルガン(JPモルガン)が、家業の金融業を発展させてNYにJPモルガン商会を設立します。

 大恐慌後の1933年に、米国政府は銀行業務と証券業務の兼業を禁止します(グラス・スティーガル法)。自己資本を使った証券の引受けや売買に、預金者の資金が使われないようにしたのです。

 因みに、これらの自己資本を使った証券業務のことを「投資銀行業務」というのですが、これはInvestment Bankingの直訳です。誤解しやすいのですが、グラス・スティーガル法ではこの「投資銀行業務」を「銀行」が行うことを禁じたのです。

 それを受けてJPモルガンは銀行業務に特化することに決め、分離された投資銀行部門はモルガン・スタンレーとなります。

 1975年に株式委託手数料が自由化され手数料収入が減少し、証券会社は徐々にこの投資銀行業務に力を入れ始め、実際に莫大な収益を上げていきます。その過程で徐々にグラス・スティーガル法が骨抜きにされて、クリントン政権末期の1999年に全廃となります。

 それを受けてJPモルガンは、2000年にチェース・マンハッタン銀行と経営統合して資金基盤を強化し、再び投資銀行業務に進出します。因みに、1970年代から1980年代にかけてそのチェース・マンハッタン銀行の頭取だったのが、現ロックフェラー家当主のデビット・ロックフェラーです。もう90歳を超えていますが、いまだに米国金融界(ユダヤ系)のドンです。

 またJPモルガン・チェースは2004年に、当時全米7位の銀行だったバンクワンを吸収合併するのですが、そのバンクワンの会長兼CEOだったのがジェイミー・ダイモンです。

 ジェイミー・ダイモンは1990年代後半にシティ・グループのトップとなったサンフォード・ワイルの腹心だったのですが、ダイモンの実力を恐れたワイルに追放されてオハイオのバンクワンに「都落ち」していました。ところが2004年にJPモルガンに吸収された際にJPモルガン・チェースの社長兼COOに抜擢され、2006年に会長兼CEOに昇格します。吸収された会社のトップが吸収した会社のトップになることは米国でも異例です。

 さて2008年の金融危機に際し残っていた投資銀行は、ベアー・スターンズをこのJPモルガン・チェースが買収し(負債込みでしたがほとんどタダで)、リーマンは破綻し、メリル・リンチはバンクオブアメリカの傘下に入り、ゴールドマンとモルガン・スタンレーは自ら銀行持ち株会社となり、ここで「投資銀行業務」はすべて「銀行」の業務になったのです。

 これは金融危機で公的資金を投入できるのが「銀行」だけだったからですが、事実多額の公的資金の投入を余儀なくされた米国政府が、再び「投資銀行業務」に預金者の資金を使うことを規制する(もっと正確に言うと「投資銀行業務」そのものを規制する)方向に舵を切ったのが、オバマ政権の2010年7月に成立した金融規制改革法案(トッド・フランク法案)です。

 ところが、この法案は施行のための具体的作業が遅れており(ボルカールールは「投資銀行業務」の行動を規制する中核的ルールです)、今年の大統領選の争点にもなっています。トッド・フランク法案を承認したオバマ大統領はもちろん支持しており、逆にプライベート・エクイティのべインキャピタルの創業者であるロムニー候補は反対しています。

 昨日も書きましたが、ダイモンCEOはこの反対派の急先鋒なのです。従って本件の行く末も多分に政治的なものになるはずです。

 さて金融危機後の米国金融業界の「最大の勝ち組」がこのJPモルガン・チェースです。2008年には米国最大の貯蓄貸付組合ワシントン・ミューチュアルも吸収し、2011年10月にはバンクオブアメリカを抜き全米最大の総資産(2.2兆ドル)を持つに至りました。

 また投資銀行業務も急速に勢力を拡大し、2009年以降はゴールドマンやモルガン・スタンレーを抜いて3年連続トップを維持しています。

 この急成長を支えたのがダイモンCEO以下の経営陣による適切なリスク管理能力だと言われていたのです。その適切なはずのリスク管理で大きな「損失」が発生したのです。

 あくまでも個人的な考えですが、大きくもない地方銀行(バンクワン)のトップから全米最大でかつ最大の勝ち組の銀行のトップに上りつめたダイモンCEOへの業界の「妬み」を考慮に入れておく必要があります。

 金融危機当時の財務長官だったヘンリー・ポールソン(元ゴールドマンCEO)の回顧録では、金融危機の初めにベア・スターンズを手に入れていたダイモンは、その後のリーマンやメリルの危機救済に一切協力せず、その隙をついて危機状態ではあったもののはるかに魅力的なワシントン・ミューチュアルをさらっていったことが書かれています。

 因みにダイモンはギリシャ系だそうです。