サウジアラビアとイランの国交断絶とその影響

 新年早々の1月2日、サウジアラビアはテロリストとして2012年に逮捕していたシーア派の指導者・ニムル師ら40名以上を処刑しました。

 それに猛反発したシーア派の大国・イランが国内のサウジアラビア大使館などを襲撃したため、1月3日にサウジアラビアが駐イラン大使館を引き払うとともに国内のイラン大使らに48時間以内の国外退去を命じ、国交を断絶してしまいました。

 それを受けて1月4日にはバーレーンスーダンもイランとの国交を断絶し、UAEクウェートも駐イラン大使を召還しています。サウジアラビアイスラム教・スンニ派の盟主であり、イランは対立するシーア派の大国だからと解説されていますが、それではこの問題はこれ以上拡大するのでしょうか?

 そもそもイスラム教とは610年頃にメッカの商人だったムハンマドが突然に聞いた「神の教え」に従って家族と共に布教を始めたもので、現在では全世界に16億人もの信者がいます。

 ムハンマドは神でも教祖でもなく「神の教え」を唯一聞くことができる預言者とされていたため、その死後(632年没)は誰も「神の教え」を聞けなくなってしまいました。そこでムハンマドが聞いた「神の教え」をまとめたクルアーンコーラン)が650年頃に編纂され、現在もすべてのイスラム教徒に絶対視されています。

 クルアーンはもちろん絶対に改定されませんが、その解釈はさまざまであり(もう誰も「神の教え」を聞くことができないから)、編纂から1400年近くもたつとその解釈を巡りイスラム教徒の間に複雑な対立構造が生まれてしまっています。

 またムハンマドの死後は、その血縁の者がカリフ(ムハンマドの代理人)となっていましたが、661年に第4代カリフのアリーが暗殺されてから、教義を重視するスンニ派とムハンマドの血筋を重視するシーア派に分かれたイスラム社会教最大の対立構造が続きます。

 今回のサウジアラビアとイランの国交断絶は、その1350年以上も続くスンニ派とシーア派の対立の1つであり、それほど珍しいものではありません。スンニ派もシーア派も同じ「神の教え」を絶対視するイスラム教徒であり、サウジアラビアイスラム教の指導者(イスラム教には聖職者は存在しません)を処刑することによるイランの反発は十分に理解していたはずです。

  今回処刑されたニムル師は、サウジアラビア西部に少数いるシーア派の指導者だったのですが、イランにとってはそれほど重要な指導者ではなかったことになります。ましてや1979年のイラン革命で亡命先のパリから帰国して熱狂的な歓迎を受けたホメイニ師のように、ムハンマドの子孫でもありません。

 まあサウジアラビアとイラン双方のメンツのための(というより国内事情優先の)処刑と大使館襲撃と国交断絶だったはずで、両国がこれ以上過激に衝突することはないと考えます。イランとの国交断絶に追随する国も、たとえばスーダンの独裁者・アル=バシール大統領は自らの経済的メリットしか考えていないため、もともとスンニ派とシーア派の対立とは無関係であり、これ以上増えないような気がします。

 それではその「影響」はどこに出るのでしょう?

 オバマ大統領は「イスラム国」のテロが米国内に入ることを何よりも恐れており、「イスラム国」と唯一対等以上に戦える国がイランしかないため、大甘のイラン核合意で経済制裁を解除することにしてしまいました。要するにスンニ派の盟主・サウジアラビアからシーア派の大国・イランに「軸足を移している」ことになります。

 そもそも「イスラム国」とは2003年のイラク戦争でスンニ派のフセイン大統領(当時)を倒し、シーア派の親米政府(大変に無能です)を支援していたため、そのスキを突いてスンニ派の過激派がイラク北部に勢力を拡大したものです。

 要するに勝手に「中東の後見人」を自負する米国がイラク戦争でも今回のイラン核合意でも短絡的で安直な介入を繰り返した結果、スンニ派とシーア派の対立に限らずイスラム社会全体の情勢を、ますます複雑怪奇にしていることになります。これは必ずしもオバマ大統領だけの責任ではありませんが、米国の次期大統領が誰になっても改善しません。

 ここでサウジアラビアもイランもOPECの主要メンバーであり、産油国という「くくり」ではアメリカより近い関係であるはずで、原油価格を低迷させたままアメリカのシェール産業を完全に潰して価格決定力を取り戻すまで「協力して耐える」ことも考えられます。

 複雑怪奇な中東情勢の先行きを読むことは難しくても、原油価格が長期にわたって低迷することだけは「かなり確実である」と感じます。